毎日暑いですね。青い空に入道雲が浮かんでいます。
私は入道雲を見るといつも思い出すことがあります。
かすみ草に入職してヘルパーとしての最初の仕事が、夕方1時間の移動支援でした。その利用者さんは知的障がいと歩行不安定があり、歩行機能の維持も兼ねて日中活動から帰ったあとに、手を取って近隣をお散歩するという支援です。
言葉は出ない方ですが、嫌なことがあるのか(何が原因かはよく分からない)時には泣いてしまったり、声を上げて笑ってくれることもありました。うつ向きがちな姿勢で顔を上げることが少なかったのですが、音楽がお好きで一緒に歩きながらヘルパーが歌を歌うとにっこりして顔を上げてくれたりしました。
暑い日も寒い日もこの移動支援を続けていて、私なりに少しづつ心が通じてきたように感じていて、気付いたことがあるんです。真夏のお散歩中、真っ青な空に入道雲が浮かんでいます。雲を指さして「あれは象さんみたいですね。あっちはソフトクリームみたい。」と話しかけていると、空を見てくれました。偶然かも?とも思いましたが移動支援の度に私の問いかけに雲を見てくれます。次の年もまた次の年も。なんとなく表情も和らいでいるように思いました。同じ支援に入っているヘルパーさんに「雲見てくれますよね?」と聞いても「そうですかぁ?」と言われ、私の時だけなのかな…と。だったら私だけとの特別なコミュニケーションなのか!と嬉しい気持ちで調子に乗っちゃいました。
その方とは10年以上移動支援を続けさせていただきましたが、体調を崩して残念ながら亡くなられました。足取りが不安定でも一生懸命歩いてくれた、眩しそうに空を見上げていた、公園のベンチで一緒にお茶を飲んだ、散歩の終わり頃ご自宅に向かう道になると急に歩くスピードを上げて(帰りますよー)と言わんばかりだった。言葉を交わすことはなかったけれど、会えばいつもこちらの気持ちをほっこりさせてくれた、優しい方でした。
本当にありがとうございました。もう会うことはできないけれど、大切な思い出はいつまでも心にあります。いま蝉の声を聞きながら、入道雲を見上げてあの日の移動支援を思い出している私です。
更新日:2025年8月20日
先月に続き、またまた電車内の話です。
通勤時間が長い上に、人間ウォッチングが好きなんですよね。
先日、新宿でちょっと混んだ山手線に乗りました。
私は空いたスペースを目指して車内中ほどに行って立っていたら、少し離れた座席に座っていた10代に見える女の子が目の前に立った高齢女性に「どうぞ」と言って席を譲るべく立ち上がりました。
するとその女性は「あ、良いです。三つ目で下りますから良いです。」と言って座ろうとしませんでした。
その方は白髪混じりですがとてもおしゃれな感じの高齢女性でした。立ち上がった女の子はちょっと残念そうに座り、高齢女性はそこには居づらかったのかドアの近くに移動しました。これって、なんとなく気まずい感じですよね。
今年のウィンブルドンテニス男子シングルス車椅子の部で、小田凱人(おだときと)選手が優勝しました。決勝戦の相手は小田選手とトップを争う、ライバルのイギリス選手です。
激戦を制した小田選手がインタビューに答えている中でこんな発言がありました。
「完全アウェイの試合で、負けたらダサいな。勝ったら俺ってやるっしょみたいな・・・(笑)」
スポーツ選手が「負けたらダサい」と言うのはなかなか聞けないかも。私はとてもすがすがしく感じたのです。そして世の中のことを「ダサい」と「カッコいい」に分けて考えてみてみるのもアリだと思ったのです。
例えば、
・自分中心で思いやりがないのは「ダサい」
・自分より弱い立場の人の身になって考えるのは「カッコいい」
・周りの目を気にするあまり当たり障りのない人生は「ダサい」
・自分の気持ちに正直に生きているけれど周りの意見は真摯に聞いているのは「カッコいい」
・・・とか。
こんな風に考えるのは自分の感覚だけなので、当てはまらないことが多いでしょう。
でも、ここは私の独り言の場なので言わせてもらえば、電車の高齢女性は「ダサい」と思います。
同じような高齢女性の私としては、ダサい人生は送りたくないな~、自分で自分をカッコいいと思えるように暮らしていきたい。
誰からもカッコいいと思われなくてもね。
NPO法人かすみ草の理事長を務めさせていただき、15年が経ちました。
昨年には、設立20周年の会を行うこともでき、素人集団の法人がなんとかここまでやってこられたこと、皆様に感謝です。
ホームページが新しくなった機会に「理事長の部屋」を(遅ればせながら)始めますね。
と言っても、私の勝手な独り言なので軽く受け流していただければと思います。
私は板橋区から永福町まで通勤しています。東武東上線→山手線→京王線→京王井の頭線と、電車を乗り継いで片道1時間半の旅です。(なかなか疲れます)
最近は席を譲ってくださることもあり、初めはびっくりしたものですが、今では喜んで座らせてもらってます。
“席を譲る”には一つ思い出があるんです。
私がまだ小学生(たぶん1~2年生)の頃、父と二人で出かけた帰りにわりと長い時間、電車に乗り二人で座席に座っていました。
電車が急に混んできて、目の前におばあさんが立ったのです。
今なら躊躇なく立つ私ですが、まだ7歳で席を譲るなんてやったこともなく、もの凄く悩んだことを覚えています。
どうやって声を掛けたら良いのかとかいうことではなく、ともかく勇気がなかったのです。
席を譲ることに、なぜそんなに勇気がいるのか、
すっかり図々しくなった今の私には考えられないことなのですが、
おばあさんを目の前にして、
(立つんだ私!今立つんだ!何してるのよ、早く!)
といった心の声と動かない身体が葛藤していたのです。
きっと一駅か二駅くらいの間なのでしょうが、ものすごーく長い時間に思えました。
そしてやっと勇気を奮い起こし、「どうぞ」(と言ったかどうか…)と立ち上がりおばあさんに席を譲ろうとしたその時
隣の父が立ち上がり「節子は座ってなさい」みたいなことを言って、おばあさんに席を譲ったのです。
えっえぇ—っ!?私の今までの葛藤は何だったのよ〰!
そのあと家に帰るまで、父とは口をききませんでした。
父は寝たふりでもしていたのか?今思い出しても腹立たしいです。
しかしながら、人に席を譲ったり、視覚障害の方にお手伝いを申し出るのは、今でもちょっと勇気がいるんです。
これってきっと、私だけじゃないですよね?
なぜなのか?
なんだか恥ずかしいのか?
タイミングが難しいのか?以前に譲ったら断られたりしてトラウマなのか?
でも譲った後は、すがすがしい気持ちになりますよね。
私もそれなりの歳になり、席を立ってくださったその方の勇気にも尊敬し感謝しています。
先日、中学生くらいの女の子がさっと立って譲ってくれた時には思わず「なんてご親切な!」と言ってしまいました。
電車やバスで、お年寄りや障がいのある方、周りの方たちも気持ち良く過ごせると良いですね。
きっと良い一日になることでしょう。



