「カッコいい」「ダサい」の違いは?——電車とテニスと私の話
- 早野節子
- 7月22日
- 読了時間: 2分
更新日:8月20日
先月に続き、またまた電車内の話です。
通勤時間が長い上に、人間ウォッチングが好きなんですよね。
先日、新宿でちょっと混んだ山手線に乗りました。
私は空いたスペースを目指して車内中ほどに行って立っていたら、少し離れた座席に座っていた10代に見える女の子が目の前に立った高齢女性に「どうぞ」と言って席を譲るべく立ち上がりました。
するとその女性は「あ、良いです。三つ目で下りますから良いです。」と言って座ろうとしませんでした。
その方は白髪混じりですがとてもおしゃれな感じの高齢女性でした。立ち上がった女の子はちょっと残念そうに座り、高齢女性はそこには居づらかったのかドアの近くに移動しました。これって、なんとなく気まずい感じですよね。
今年のウィンブルドンテニス男子シングルス車椅子の部で、小田凱人(おだときと)選手が優勝しました。決勝戦の相手は小田選手とトップを争う、ライバルのイギリス選手です。
激戦を制した小田選手がインタビューに答えている中でこんな発言がありました。
「完全アウェイの試合で、負けたらダサいな。勝ったら俺ってやるっしょみたいな・・・(笑)」
スポーツ選手が「負けたらダサい」と言うのはなかなか聞けないかも。私はとてもすがすがしく感じたのです。そして世の中のことを「ダサい」と「カッコいい」に分けて考えてみてみるのもアリだと思ったのです。
例えば、
・自分中心で思いやりがないのは「ダサい」
・自分より弱い立場の人の身になって考えるのは「カッコいい」
・周りの目を気にするあまり当たり障りのない人生は「ダサい」
・自分の気持ちに正直に生きているけれど周りの意見は真摯に聞いているのは「カッコいい」
・・・とか。
こんな風に考えるのは自分の感覚だけなので、当てはまらないことが多いでしょう。
でも、ここは私の独り言の場なので言わせてもらえば、電車の高齢女性は「ダサい」と思います。
同じような高齢女性の私としては、ダサい人生は送りたくないな~、自分で自分をカッコいいと思えるように暮らしていきたい。
誰からもカッコいいと思われなくてもね。



